25日午前、金沢会館で山内先生の青年学徒向け勉強会のご縁がありました。
金沢には青年層の親鸞学徒も多くあり、青年に合った形で共に仏法を学んでいます。
この日は、「なぜ仏教を聞かねばならないのか」について詳しく教えていただきました。
今回は、その一部を紹介いたします。
人生は、難度海
なぜ仏教を聞かなければならないのか、それは人間だから。
人として生まれ、生きている目的のことを「人生の目的」と言われます。
人が生きる目的は何かを知るには、人間はどのような姿をしているかをよく知らねばなりません。
人間の本当の姿がわかると、「これは仏教を聞くしかない」とわかります。
では、人間とはどのような姿をしているのでしょうか。
親鸞聖人は、私たちの人生を海に例えて、「難度海」と教えられます。
海には波が絶えないように、私たちの一生は、「苦難」「困難」「災難」といった、
苦しみ悩みの波が次から次へとやってくる海のようなものだから、親鸞聖人は人生を「難度海」と言われています。
また、お釈迦様は「人生は苦なり」と仰っています。
では苦しみにはどのようなものがあるか、それを大きく八つに分けて「四苦八苦」と教えられています。
これは、すべての人が避けられない、いつでもどこでも変わらない苦しみであり、
2600年前のインドだけではない、普遍的な真実を説かれています。
■四苦八苦
・生苦・・・生きる苦しみ。
・老苦・・・老いの苦しみ。
・病苦・・・病の苦しみ。
・死苦・・・死の苦しみ。
・愛別離苦・・・愛する人や物と別れる苦しみ。
・怨憎会苦・・・会いたくない人や物と会わねばならぬ苦しみ。
・求不得苦・・・求めるものが得られぬ苦しみ。
・五陰盛苦・・・「五陰」とは肉体のこと。肉体あるがゆえの苦しみ。前七つを総括されたもの。
まさに、人間は生まれながらにして四苦八苦の姿をしているのです。
難度海の、最も恐ろしい点とは?
親鸞聖人が人生を「難度海」と言われていますが、この海の最も恐ろしい点は何か。
それは、「空と水しか見えない」ということ。
周りに陸地などがあれば、波があっても頑張って泳げるが、それが何も見えず、方角が立ちません。
方角がわからないから、何となく、思いついた方向へ泳いでいるように、
私たちも生きる目的がわからないから、ただ何となく生きている。実はこれが最も恐ろしいのです。
この難度海には、丸太や板切れが浮いています。これは、私たちがあて頼りにしている、
生き甲斐や心の拠り所、居場所などを例えられています。
例えば、大学合格の喜び、卒業して就職した喜び、結婚、マイホームの喜びなど。
手に入ったその時は喜べるが、ずっと続かないものです。
私たちの人生は、丸太や板切れを探してすがって喜んでは続かない、
また別の丸太を探してすがって喜んでは続かない、それを80年繰り返して死んでいくだけ。
まさに親鸞聖人の仰る通り「難度海」なのですが、なぜそうなるのか。
それは波があるからではなく、方角がわからないのに生きねばならないから。ここに原因があります。
蓮如上人は、この人間の姿について次のように教えられています。
夫れ、倩、人間のあだなる体を案ずるに、生ある者は必ず死に帰し、盛なる者は終に衰うるならいなり。
(御文章三帖目第四通 大聖世尊)
されば、ただいたずらに明し、いたずらに暮して、年月を送るばかりなり。
是れまことに歎きてもなお悲しむべし。
この故に、上は大聖世尊より始めて、下は悪逆の堤婆に至るまで、逃れ難きは無常なり。
やがて死ぬのに、なぜ生きるのか
死は平等にやってくる確実な未来です。方角がわからないまま、何となく生きて、そして死んでいく。
そんな人生、一体何のために生きるのでしょうか。人は、なぜ生きるのか。
親鸞聖人は「この難度海を渡す大船がある、だから早くその船に乗りなさい」と教えられています。
丸太や板切れを求める一生で終わっては、私たちは本当の幸せにはなれません。
だから、この大船のあることを教えられた仏教を聞かなければならないのです。
では大船に乗ったらどうなるか、絶対の幸福にさせていただけると教えられます。
それに対して、私たちの日々追い求めているものは「相対の幸福」と言われ、
続かない、キリがない、死によって総崩れとなる、という3つの特徴があるのです。
もしも、相対の幸福だけを追い求めて終わったら、悲劇しかありません。
だからこそ仏教を聞いて、大船に乗らねばならない。そうでなければ本当に幸せになれないのです。
「仏教を聞いた方がいい」とか「聞くのも一つの生き方だと思う」というようなことではありません。
人間が、これまで話してきたような姿をしていることがわかると、仏教を聞かずにおれなくなるのです。
大船に乗せていただくには
ではどうすれば大船に乗れるのか。「聴聞に極まる」と明言されています。
聞く一つで大船に乗せていただける。だから、大船に乗るために仏教を聞く。
人生の目的を果たすためには、仏教を聞かねばならないから聞くのです。
そして、聞く時には、仕事をしてお金を稼いで、元気でなければなりません。
これらは生きる手段であり、目的が大事だからこそ、手段も大事になってくるのです。
ところが、多くの人はこのような話を聞いても、相対の幸福だけを求めています。だから幸せになれません。
私たちはそれだけ迷いが深いので、よくよく真剣に、重ねて仏教を聞かせていただきましょう。
そして、最後に、親鸞聖人の教えを伝える上での大切な心がけと、絶対の幸福の特徴、
なぜ大船にすべての人が乗せていただけるのか、について、その一端を教えていただきました。


編集後記、今日のお仏花
難度海の実態について、聞かせていただいている時は、「そうだなぁ」と思うも、
家に帰ったりすると、しばらくもしない内に忘れ、目の前の仕事などに振り回されており、
人間とは本当に迷いが深いものだと改めて知らされました。
聴聞に極まる教えであり、間断なく聞かせていただくことが大切です。
また、この日の午後は有志で交流会も開き、学徒同士で親睦を深めました。
「同行・善知識にはよくよく近づくべし」と教えていただくように、共に求める法友の存在が、また大切なのです。
これからも、ともに会館で親鸞聖人の教えを聞かせていただきましょう!
この日もお仏花はきれいに飾られていました、いつもありがとうございます。



