映画『親鸞聖人物語』上映と解説講座(令和6年3月24日)

3月24日、金沢会館でアニメ映画『親鸞聖人物語』第1巻上映と解説講座のご縁がありました。

目次

映画『親鸞聖人物語』第1巻について

第1巻は親鸞聖人ご生誕から29歳までのお姿がまとめて描かれています。

9歳で両親と死別された親鸞聖人は、「人は死ねばどこへ行くのか」の疑問の解決のために、比叡山へ入られました。
厳しい仏道修行の末、親鸞聖人が知らされたことは何であったのか、そして、どうやって魂の解決をなされたのか?

皆さんとともに、親鸞聖人のお姿を通して学ばせていただきました。
上映会の後は、宮本先生の解説講座がありましたので、その一部を紹介いたします。

仏法の目的は

アニメ映画にも描かれていた通り、親鸞聖人は、4歳でお父様と、8歳でお母様と死別された。
「次は自分が死ぬ番だ。死ねばどうなるのだろう」と真っ暗な心に驚かれ、「自分が解決すべき問題はこれ一つだ」と、9歳で仏門に入る決意をされた。

仏法を聞かせていただく目的は、この後生暗い心の解決一つ。
親鸞聖人だけでなく、これが私の人生の目的であると自分事として聞かせていただかなければならない。

ところが、私たちは自身の後生に驚くだろうか。
「親を亡くして泣く子はいるが、自分の後生に泣く子がいない」と言われる。たとえ親を失ったとしても、しばらくすると、「死んだ親の分も頑張って生きよう」と生きることで精一杯になってしまう。

私たちは、受験、就職、出世、結婚、子育て、住宅ローン、介護、闘病など、「これさえ乗り越えられたら」とどう生きるで一生懸命。そうこうしているうちに死んでいくのだから、「生きてきてよかった、これで満足」と心から喜べる幸せにはなれないだろう。

しかも、いつどうなるか分からない世の中にありながら、自分の死については「まだまだ先」と考えている。

無常を見つめ、一大事解決を

では親鸞聖人はどんな覚悟で仏教を求められたか。出家の時、次の歌を詠まれている。

明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

親鸞聖人

 咲き誇る桜も、今宵、嵐が吹いたならば、あっという間に散ってしまいます。
 人の命は、桜の花よりも儚きものと聞いております。私の「明日」を、誰が保証してくれましょう。
「明日」と言わず、どうか今日、得度の式をお願いできないでしょうか。

明日ありと思う心」とは「明日も生きておれる」と思う心だが、突き詰めると「永遠に死なない」と思う心になる。
やがて必ず死なねばならないのに、腹底では絶対に死なないと思っている。おかしな姿ではなかろうか。
親鸞聖人は、その根深い迷いを教えてくださっている。

今日とも知らず明日とも知らず、死んでいく私たちは、一体何のために生きているのか。
それは「死ねばどうなるのか」の後生の一大事を解決し、「人間に生まれてよかった!」と心から喜べる身になることだ。

明日ありと思う心に任せていては、真剣な聴聞はできない。私たち自身の無常を凝視して、続けてこの会館へ足を運び、親鸞聖人の教えを聞かせていただこう。

編集後記・今日のお仏花

迷いの深い私たちが、なぜこの会館で親鸞聖人の教えを聞かせていただけているのか、改めてありがたく思いました。

講座の後は大掃除もあり、会館をきれいにするとともに、ともに聞法できる喜びを分かち合いました。
また、この日も綺麗にお仏花が整えられており、心が和みました。

これからも、ともに会館で親鸞聖人の教えを聞かせていただきましょう!

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