1471年:加賀で僧侶と親鸞学徒との問答

加賀の浄土真宗

今回は、1471年(文明3年)蓮如上人が加賀へ訪れた後、当時の僧侶と親鸞学徒の問答について紹介します。

目次

加賀の僧侶と京都で聴聞した俗人との問答

文明第三初秋仲旬之比、加州或山中辺において人あまた会合して申様、近比仏法讚嘆、事外わろき由をまふしあへり。そのなかに俗の一人ありけるが申様、去比南北の念仏の大坊主もちたる人に対して法文問答したるよしまふして、かくこそかたり侍べりけり。

引用:帖外御文

意訳:文明三年(1471年)初秋中旬のころ、加賀において人々が多く会合する中で、近頃の仏法讃嘆がとても乱れていることを嘆きあっていました。その中に僧侶ではない俗人の1人が、門徒を多く抱えている大坊主と、親鸞聖人の教えについて問答したことを、このように語りました。

俗人いはく、当流の大坊主達はいかやうに心ねを御もちありて、その門徒中の面々をば御勧化候哉覧、無御心元候。委細蒙仰度存候。

引用:帖外御文

俗人は言いました。
「浄土真宗の大坊主の人たちは、どのような思いをもって、その門徒の方々を教化されているのでしょうか。頼りなくおもっています。詳しく教えて下さい。」

坊主答云、当流上人の御勧化の次第は、我等も大坊主 一分にては候へども、巨細はよくも存知せず候。乍去、凡先師などの申おき候趣は、たゞ念仏だに申せ、たすかり候とばかり承り置候が、近比はやうがましく信心とやらんを具せずは往生は不可と若輩の申され候が、不審にこそ候へ。

引用:帖外御文

大坊主は答えました。
「親鸞聖人の教えについて、私たちも大坊主ではありますが、詳しいところはわかっていません。とにかく代々の先師が申していた内容は、ただ念仏さえ称えたらたすかるとだけ聞いていますところが最近はやかましく信心をともなわなければ往生ができないなどと、若者たちが言っているのはおかしいことだと思っています。」

俗問いはく、その信心といかやうなる事を申候哉。

引用:帖外御文

俗人は尋ねました。
「信心とはどのようなことでしょうか。」

答いはく、先我等が心得置候分は、弥陀如来に帰したてまつりて朝夕念仏を仏御たすけ候へとだにも申候へば、往生は一定と心得てこそ候へ。其外は大坊主をばもちて我等も候へども、委細は存知せず候。

大坊主が答えました。
「まず私たちが心得ていることは、阿弥陀如来に帰命したてまつりて朝夕念仏を申したすけたまえ、とさえいっていれば、往生一定の身になると心得ております。そのほか私らは大寺を持っているから、忙しくて、詳しいことはわかっていません。」

俗問ていはく、さては以前蒙仰候分は、以外此間我等聴聞仕候には大に相違して候。先大坊主分にて御渡り候へ共、更に上人一流の安心の次第は御存知なく候。我等事は誠に俗体の身にて候へども、申候詞をも、げにもと思食しより候はゞ、聴聞仕候分は可申入候にて候。

俗人は言いました。
「さては以前に、ご説教なさった内容はもってのほか、先日私たちが聴聞した内容とは大きく異なっています。まずは大坊主分でいらっしゃるのに、親鸞聖人の教えの安心についてなにもご存じないとは。私どもはまことに僧侶ではなく俗人の身分ですが、私が申す言葉がなるほどとお思いなら、聴聞したことを申しましょう。」

坊主答云く、誠以貴方は俗体の身ながら、かゝる殊勝の事を申され候者哉。委細御かたり候へ、可聴聞候。

引用:帖外御文

大坊主は答えました。
「まことに貴方は俗人の身でありながら、このようなえらいことがよく言えるものです。詳しくお話しください。聴聞いたします。」

俗答いはく、如法出物なる様に存候へ共、如此蒙仰候之間、聴聞仕候趣大概可申入候。我等事は奉公の身にて候之間、常在京なども仕候間、東山殿へも細々参候て聴聞仕分をば、心底をのこさずかたり可申候。御心にしづめられ可被聞召候。先御流御勧化の趣は、信心をもて本とせられ候。そのゆへはもろもろの雑行をすてゝ、一心に弥陀如来の本願はかゝるあさましき我等をたすけまします不思議の願力也と、一向にふたごゝろなきかたを、信心の決定の行者とは申候也。さ候時は、行住座臥の称名も自身の往生の業とはおもふまじき事にて候。弥陀他力の御恩を報じ申す念仏なりと心 得うべきにて候。

引用:帖外御文

俗人は答えました。
「でしゃばるようですが、このように仰っていただいたので、聴聞いたしたことの概要を申すことにいたします。私たちは奉公の身で主人に仕えていますため、常日頃から京都にいることがあり、東山本願寺へたびたび参詣し、聴聞させていただいたことを、隠すことなくお話しします。心を鎮めてお聞きください。
まず親鸞聖人九十年の生涯、教えていかれたことは、弥陀の救いは信心一つということです。その故はもろもろの雑行をなげ捨てて『一心に弥陀如来の本願はこのようなあさましき我等をたすけまします不思議の願力なり』と二心なく一心に阿弥陀仏の本願を聞いた人を、信心決定した行者と申します。
その時は、行住座臥つねに称える念仏も自身の往生の業とは思ってはなりません。必ず浄土へ往ける大安心に救われたうれしさに称えずにおれないお礼の念仏であり、御恩報謝の念仏と心得るべきです。」

(続き)
次に、坊主様の蒙仰候信心の人と御沙汰候は、たゞ弟子の方より坊主へ細々に音信を申し、又物をまひらせ候を信心の人と仰られ候。大なる相違にて候。能々此次第を御心得あるべく候。されば当世はみなみなかやうの事を信心の人と御沙汰候。以外あやまりにて候。此子細を御分別候て、御門徒の面々をも御勧化候はゞ、御身も往生は一定にて候、又御門徒中もみな往生せられ候べき事うたがひもなく候。是則誠に「自心教人信[乃至]大悲伝普化」(礼讚)の釈文にも符合せりと申侍べりしほどに

引用:帖外御文

それに反して、あなたがた僧侶がおっしゃる信心の人は、ただ弟子の方から時々寺を訪れたり、物を贈ったりするのを信心の人とおっしゃっています。これは全くの間違いです。よくこの次第を心得なければなりません。そうであるので今ではみんなこのような事をする人を、信心の人と言われています。もってのほかの誤りです。このことをよくよく理解して、御門徒の面々を教化されるなら、ご自身は往生一定の身になり、御門徒の方々も往生されること、うたがいがありません。これこそが誠の「自心教人信[乃至]大悲伝普化」の善導大師のみ教えに一致いたしましょう、と申したところ

大坊主も殊勝のおもひをなし、解脱の衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔のいろふかくして申様、向後は我等が散在の小門徒の候をも、貴方へ進じおくべき由申侍べりけり。又なにとおもひいでられけるやらん、申さるゝ様は、あらありがたや、弥陀の大悲はあまねけれども、信ずる機を摂取しましますものなりとおもひいでゝ、かくこそ一首は申されけり。

引用:帖外御文

大坊主は、ひどく感激し、歓喜の涙で袈裟の袖をしぼり、顔に改悔のいろを深くにじませて、「これからは私たちのあちこちに散在する門徒を、あなたに進上しましょう」とさえ申されました。しかもなんと思い込まれたのか、ああ、ありがたい。阿弥陀仏の大悲は遍く照らすけれども、信ずる機を摂取されるのだといい、このように一首を思い出して申されました。

月かげの いたらぬところは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ

といへる心も、いまこそおもひあはせられてありがたくおぼへはんべれとて、此山中をかへらんとせしが、おりふし日くれければ、またかやうにこそくちずさみけり。

つくづく おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 弥陀ぞこひしき

とうちながめ日くれぬれば、足ばやにこそかへりにき。

釈蓮如(花押)

〔文明三年七月十六日〕

「月かげの いたらぬところは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ」

この心が、今こそ思い当たった、ありがたいことだといいながら、大坊主がこの山中を帰らんとされましたが、折も折、日が暮れかけましたので、また歌を口ずさみました。

「つくづく おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 弥陀ぞこひしき

というまに日が暮れてしまったので、足早に帰っていきました。

あなかしこあなかしこ

釈蓮如(花押)

〔文明3年7月16日〕

編集後記

蓮如上人が北陸布教に向かわれた当初、親鸞聖人の教えは正しく伝えられていませんでした。

仏法を伝えるべき僧侶が、阿弥陀仏の本願を正しく理解していなかったのですから、親鸞聖人の教えは加賀の門徒の方々にも届いていなかったと思います。

そのような中でも、京都で蓮如上人から親鸞聖人の教えを聞き学び、正しく理解していた親鸞学徒の先輩がいました。このような親鸞学徒が、蓮如上人の北陸布教を支え、活躍していきます。

今は浄土真宗親鸞会金沢会館で、正しい親鸞聖人の教えを聞かせていただけます。現代の親鸞学徒も、金沢会館で阿弥陀仏の本願を正しく聞かせていただき、理解を深めていきましょう。

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