今回は、浄土真宗の中興の祖・蓮如上人のお弟子の中でも、とりわけ深く信頼された人物「法敬房順誓」と、順誓が開かれた石川県の照円寺についてご紹介します。
順誓は『蓮如上人御一代記聞書』の中にもよく登場します。
領主としての生き方を捨て、蓮如上人を支え続けた順誓の生涯は、私たちに阿弥陀仏の本願を聞くことの尊さを教えてくれます。
領主から親鸞学徒へ
応永28年(1421年)、現在の石川県白山市(旧・石川郡山島郷)に、一人の男児が生まれました。
彼の名は源権之頭(みなもとのごんのかみ)と呼ばれていました。源氏の流れをくむ武士の家系に生まれ、山島郷一帯を治める国人領主として育ちました。
戦乱の世にあって、権之頭は領民を守り、土地を治める日々を送っていました。士族として、地域の有力者として、彼の人生は順調に進んでいくかに見えました。
大きな転機が訪れた日
しかし、人生に大きな転機が訪れたのは、彼が29歳の頃(1449年頃)でした。
その年、本願寺7代目法主の存如上人と共に、蓮如上人が北国へ布教に来られたのです。
当時、蓮如上人はまだ法主ではありませんでした。しかし、権之頭は蓮如上人の説かれる阿弥陀仏の本願を聞き、大変な驚きと感動を覚えました。
「自分だけでなくすべての人が本当の幸せになるには阿弥陀仏の本願しかない」
これまで士族として生きてきた彼の心に、蓮如上人のお言葉は深く染み入りました。
そして権之頭は、一つの決意をします。
これからは領主としてではなく、常に親鸞聖人の教え・阿弥陀仏の本願を聞かせていただこう―。
こうして蓮如上人の弟子となる道を選んだのです。
二度授けられた名―「順誓」と「法敬」の由来
弟子となった彼に、蓮如上人はまず「順誓」という名を授けられました。
「弥陀の誓願(本願)に順う」という意味です。
順誓は、常に蓮如上人のもとで仏法を聞き学び、お支えする日々を送るようになりました。
そんな日々は、かつて領地を治めていた頃とは全く異なるものでしたが、順誓の心はとても充実していました。
法を敬う姿勢への称賛
やがて蓮如上人は、後に「法敬」という法号も与えられました。
同じお弟子に二度も名前を授けることは珍しく、それだけ蓮如上人が順誓を信頼し、共にいることを喜ばれていたことの表れでした。
その際、蓮如上人が詠まれた歌が伝えられています。
順誓が法を敬う身になれば その名をかえて法敬とこそ云え
出典:「享徳年間宗祖連座の御影裏書き」
意訳:順誓が仏法を深く敬う身となったのだから、その名を改めて「法敬」と呼ぼう。
こうして、彼は「法敬房順誓」と名乗ることになりました。
この名前には、蓮如上人の深い信頼と期待が込められていたのです。
蓮如上人の駕籠を担いだ男
蓮如上人と順誓との関係は、単なる師弟以上に親密なものでした。
元士族らしく強靭な体力もあった順誓は、蓮如上人が吉崎御坊を開き滞在されていた際、上人の移動の駕籠(かご)を担ぐ「駕籠丁」(かごかき)を務めました。
道なき道を行く時も、険しい山道を越える時も、順誓は常に蓮如上人の傍らで護衛したといいます。
かつては領主として領民を守っていた彼が、今は一心に蓮如上人をお守りする役目を果たしたのです。
「常随給仕の弟子」として
蓮如上人の子、実悟が記した記録には、順誓が常に付き従いお仕えする「常随給仕」の弟子として筆頭に挙げられています。
夫れ先師蓮如上人朝夕ノ仰ヲカウフリ常隨給仕ノ御弟子トイフへキ人ハオホカラズ、報恩寺蓮崇・慶聞坊龍玄・法敬坊順誓・法専坊空善・手原幸子坊・金森従善…(中略)…ナトイヘル人々ニ對シテ晝夜不斷ニ仰ヲ請申サレ
出典:『蓮如上人一期記』(実悟記)
意訳:亡き師・蓮如上人から朝夕にお言葉をいただき、常に付き従ってお世話をした「直弟子」と言えるような人は、そう多くはありません。報恩寺の蓮崇、慶聞坊龍玄、法敬坊順誓、法専坊空善、手原の幸子坊、金森の従善といった人々に対して、蓮如上人は昼夜を問わず絶え間なく、ご教示のお言葉を述べ伝えられました。
順誓は、蓮如上人の赴かれるところには常に従い、身近で多くを学ばせていただきました。
心は常に蓮如上人のお言葉に耳を傾けていたのです。
聞く者の心をふるわせた仏法讃嘆
蓮如上人のもとで学び続けた順誓は、徹底して親鸞学徒と仏法讃嘆をしました。
常に蓮如上人のご教導を受けた順誓の仏法讃嘆は、多くの親鸞学徒の心をふるわせるものだったといいます。
当時の記録には、次のように記されています。
法敬坊の讃嘆には、御堂のうちは、皆々感涙にむせび声をあげ、よろこばれ候。
出典:『本願寺作法之第』
意訳:法敬房順誓が仏法讃嘆をすると、お堂の中の人々は皆、感動のあまり涙を流して喜んだといいます。
かつて領主として人々を統率していた順誓は、今度は仏法を説く者として、多くの人々の心を動かしていたのです。
照円寺の開基と北陸教化への貢献
蓮如上人が法主となられる少し前、1454年(享徳3年)頃、順誓は自身の領地であった山島郷島田村(現在の白山市御影堂町)に寺を建立しました。
これが現在の照円寺の始まりです。
(後に照円寺の場所は移転しています)
蓮如上人は順誓から北陸の情勢を、早い時期から詳しく聞いておられたのかもしれません。
元領主という順誓の地縁と人脈は、後の北陸における浄土真宗の宣布に大きく寄与しました。
人々から信頼されていた順誓が阿弥陀仏の本願を説くことで、少しずつ人々が仏法に帰依していったようです。
蓮如上人が北陸で爆発的に教線を拡大できた背景には、順誓のように「土地に根差した力」を持ち、かつ深く信頼のおける協力者の存在があったのです。
照円寺は、北陸教化の重要な足がかりとなり、後の吉崎御坊の建立へとつながっていきました。ここから多くの親鸞学徒が育っていったのです。
生涯聞法
順誓は晩年になっても、仏法の聴聞への情熱を失うことはありませんでした。
彼は次のように語っていたといいます。
この歳まて聴聞まうしさふらへともこれまてと存知たることなしあきたりもなき事なり
出典:『御一代記聞書』
意訳:この年(高齢)まで仏法を聴聞させていただいてきたが、「もうこれ以上聞くこともない」「これで十分だ」と思ったことは一度もない。聞けば聞くほど飽きることのない御法である。
蓮如上人に仕え、親鸞学徒の心を動かし、そして照円寺を開いて北陸教化に貢献した順誓。
その彼が晩年に語った言葉は、「聞けば聞くほど飽きることのない御法」というものでした。
何十年も聴聞を続けてきた順誓が、なお「飽きたりもなき事なり」と語ります。
阿弥陀仏の本願がいかに深く、尊いものであるのかが知らされます。
編集後記
法敬房順誓の生涯は、阿弥陀仏の本願を聴聞することの尊さを私たちに教えてくれます。
順誓は生涯蓮如上人をお慕いし、側にお仕えしつつも、常に仏法を喜び聴聞していました。
私たちはどれだけ仏法讃嘆できているのか、また聞法に身を沈めているのか、反省させられます。
これからも浄土真宗親鸞会金沢会館で阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。
