『顕真』平成16年6月号を参考に、浄土真宗親鸞会、黎明期の証言を紹介します。
高森先生の石川県初のご法話
高森先生の石川県初のご法話は、昭和26年(1951年)ごろ、金沢市郊外・森本の勝光寺で開かれた。
当時は、寺の近所の主婦が、口コミで集まっていただけだったという。
やがて、数人の若者たちが仏縁を結び、続けて聞法するようになる。
参詣者がなかなか増えなかった金沢中心部も、活況を呈してくる。彼らの夢は、知名度抜群の金沢市観光会館に、高森先生をご招待することだった。
金沢で長く中心となって親鸞学徒をまとめた、Aさん、Sさん、Nさんに、当時を語ってもらった。
Tさんの家庭法話
Aさん
「勝光寺は、JR森本駅から300メートルほどにあります。天井がなく、見上げると屋根裏が見えて、冬は寒かったのを覚えています」
Sさん
「昭和30年代に参詣していたKさんに聞いたのですが、高森先生は、大学ご卒業間近で、角帽に金ボタンで来られたそうです。黒板はまだ使われず、テーブルを演台にされて、参詣者の周りを時々歩かれながら、
『真実の信心、獲得されましたか』
と、尋ねられたこともあったと聞いています。寺で、『死んだら極楽』とばかり聞いていた人々は、
『信心決定しなければ、後生は一大事』
というご説法に驚き、あっという間に評判が広がったようです」
森本は当時、金沢市に編入される前だった。国道もまだ整備されていない、のどかな所だったという。
Aさん
「そのころご縁があった、Tさんの聞法求道はすごかった。石川県で多くの親鸞学徒が聞き求めるようになった縁の下の力持ちは、Tさんだと思います」
Sさん
「Fさんという村の人で、勝光寺から歩いて30分くらい。以前は土蔵秘事に迷っておられたそうだが、高森先生にお会いしてから、聞法一筋になった。男勝りの人で、Kさんと一緒に金沢市内の数ヵ寺と交渉された結果、森山の静心寺、柳御坊(浄行寺)、木町の円長寺などで、先生のご法話が開かれました。
Tさん宅での家庭法話会も始まり、昭和35年(1960年)ごろから年2回、晩・朝・昼というご日程でした。その当時、高森先生を年2回も自宅にご招待する人は、あまりなかったんじゃないですか」
高森先生は、昭和35年7月、Tさんに次のお葉書を出しておられる。
合掌
年に二度も尊い御法筵を開かれたことは誠に有難い尊いことと思います。多くの人々に法雨をそそぐ程の布施はありません。この求道精進の心は必ずや如来の御意にかなうに違いありません。
炎暑も地獄の苦には比ぶべからず、広大な御恩おもえば苦にならず、叫びつづけましょう
Aさん
「Tさんは、富山や滋賀からの参詣者を毎回、10人ぐらい泊めておられたみたいです。布団は、貸し布団屋さんから借りてたんですね。お昼時も大忙しです。参詣者全員に、味噌汁を出すのだから」
Sさん
「80軒あまりの村ですが、Tさんの影響で、先生のご法話を開くようになった家が4、5軒ありました。20軒ぐらいは親鸞学徒になったと聞いています」
続きは以下の記事をお読みください。

編集後記
当時、ほとんどまだ親鸞学徒がいなかった石川県。
寺での御法話や家庭法話が開かれる中で、1人ずつ、地道に若者へ真実の教えが伝わったことがわかります。
今、私たちが真実の教えを聞かせていただいているのは、このような先輩学徒のご苦労があってのことです。
高森先生や先輩親鸞学徒のご苦労を偲びながら、これからも浄土真宗親鸞会金沢会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。
