3月30日と31日の2日にわたり、金沢会館で教学の集いが行われました。
仏教や親鸞聖人のお言葉を順番に学ばせていただき、教えの理解を深められるご縁です。
金沢だけでなく加賀・かほく・能登方面から参加された方もありました。
今回は4人の講師の方が順番に講義をされました。その内容の一部を紹介します。
人生の目的はあるのか
仏教を説かれた釈迦は、人生の目的は万人共通唯一のものだと教えられている。
ところが私たちは「人生の目的」と言われると、どう思うだろうか?
「人生に目的なんて無いよ」「それはあるだろうが、人それぞれ違うものだ」と言う人がほとんどだろう。
では私たちは、何をしにこの世に生まれてきたのだろうか。
私たちの人生をレストランに例えてみよう。レストランに来た目的は、食事をすること。
食べたいものを食べたならば満足して出ることができるだろうが、まだ食べてもいないのに「出てください」と言われたらどうだろうか。
来た目的を果たしていないから、満足して出ていけないだろう。
これを人生に置き換えて考えると、目的は何か。ぼやぼやしていると、あっという間に人生の「閉店時間」が来てしまう。
人生の目的を果たさぬまま、人生が終わったら後悔しないか?
「もっとああしておけば、こうしておけばよかった」と、心からの安心・満足どころではないだろう。
すべての人は、いよいよ死ぬとなっても「これ一つ果たせば満足」と言える人生の目的を果たすために生きている。
そんな目的があるのだと、釈迦は教えられたのだ。
「天上天下 唯我独尊」の真意
釈迦はご生誕の時、東西南北に七歩ずつ歩かれ、右手で天を、左手で地を指さされて、次のように言われたと伝えられている。
天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此
釈迦
このお言葉は「釈迦は自分一人が偉い、と言われたのだ」と誤解する人が多いようだが、意味は全く異なる。
「天上天下 唯我独尊」は、
「この広大な大宇宙で、ただ我、独り尊い」ということだが、この「我」は、釈迦自身だけのことではない。
これはすべての人間のことを言われているのだから、「唯我独尊」とは、ただ我々人間のみが果たしうる尊い使命、崇高な唯一の目的を持っている、という意味なのだ。
「三界皆苦」とは、「人生(三界)は皆苦なり」ということ。災害や事故、境界争い、嫌な人間関係など、この世は苦しみの充満した世界に違いない。まさに「人生は苦なり」と言えよう。
しかし、私たちは苦しむために生まれてきたのではない。目的を果たし、「このために生きてきたのか!」と満足する身になるための人生なのだ。ではそんな目的があるのだろうか。
「吾当安此」とは、「吾当に此に安んずべし」と読む。
「吾」は釈迦ご自身のことであり、「此」とは、今のこの人生、生きている時ということ。
だから「私はその苦しみの世界にありながら、安らかで楽しい。すべての人は、この幸福の世界に出るために生まれてきたのだ」という意味になる。
三界で苦しんでいる私たちを、無碍の一道の世界へ出させるために、釈迦は教えを説かれたのだ。
教学と聴聞
教学のテキストには、釈迦や親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を通して、教えの内容を順序立てて説明されている。
真実の教学は、親鸞聖人や蓮如上人の直の説法を親しく聴聞するのと同じであり、尊い仏縁になる。
学べば学ぶほど、その深さ、尊さが知らされ、より真剣に求めずにおれなくなってくる。
大いに真実の教学を研鑽しよう。
両日ともに、講義のあとは仏法讃嘆の時間となり、聞かせていただいて知らされたことや喜びを皆さんで語り合いました。


編集後記、今日のお仏花
わずか70年から80年の人生が、過去にも未来にもないチャンスだと聞かせていただき、限られた時間を何に使うか、もっと大切にしなければならないと知らされました。
同時に、親鸞聖人の教えを、ともに学ばせていただくご縁のありがたさを改めて感じます。
来られた方同士で交流も深められ、皆さん喜んで学ばれていました。
会館があることのありがたさをかみしめ、これからもともに、親鸞聖人の教えを学ばせていただきましょう!
この日もきれいにお仏花が整えられていました。いつもありがとうございます!




