ご法話(令和8年5月5日)

5月5日、金沢会館で泉先生のご法話があり、親鸞聖人のお言葉を通して、
本当の私の姿について詳しく教えていただきました。
今回は、その内容の一部を紹介いたします。

目次

人間とは、煩悩具足の者

仏教とはどんな教えなのか。
お釈迦さまは、一言で「仏教は法鏡なり」と御遺言なされている。

「法」とは真実という意味だから、
「法鏡」とは「真実の鏡」ということ。

私たちのありのままの姿を映して見せる鏡のようなものが仏教であると言われている。
では、阿弥陀仏のお力によって照らし抜かれた私の姿とはいかなるものか。

有名な歎異抄の後序に、本当の私の姿を「煩悩具足の凡夫」と説かれている。
「凡夫」とは、人間のこと。
「具足」とは、塊ということだから、人間は煩悩の塊という意味となる。

では、煩悩具足の人間、とはどういうものなのか。
親鸞聖人は次のお言葉で教えられる。

「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、
欲もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、
臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず。
(一念多念証文)

人間というものは、欲や怒り、腹立つ心、ねたみそねみなどの塊である。
これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。もちろん、断ち切れるものでは絶対にない。
と教えられている。

ここで言われる「欲」「瞋り腹だち」「そねみねたむ心」が、
煩悩の中でも特に私たちを苦しませるものであり「三毒の煩悩」ともいわれる。

私たちは何のために生まれてきたのか

煩悩によって罪悪を造り苦しむのだから、人生は苦しいものとなる。
お釈迦様が仏の覚りを開かれた第一声も「人生は苦なり」であった。

どれだけ科学文明が発展しても、苦しみから逃れられないのが本当の人間の姿だが、
私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではない。

そんな煩悩にまみれたすべての人が、ありのままの姿で
人間に生まれてよかった」と大満足できる幸せがあるのだと
親鸞聖人は教えられており、その幸福になるために、私たちは生まれてきたのだ。

では、それを親鸞聖人はどう教えておられるのか。
そしてどうすれば本当の幸せになれるのか。

それには教えを聞くことが最も大事だから、
仏法は聴聞に極まる」と蓮如上人は言われている。

私が煩悩具足の者であった、そんな私一人を助ける弥陀の誓願まことだった、と
ハッキリするところまで、聞きぬかせていただこう。

編集後記

人間の本当の姿を見つめることは、決して暗くなる為ではなく、
そんな者が本当の幸せになれる道を進ませていただくことと聞かせていただきました。

親鸞聖人のお言葉を通し、生きている今、本当の幸せになれる教えを学べる
身の幸を改めて知らされます。

今後、初めての方でもやさしく学べる法話のご縁も予定されています。
ぜひ、この会館へ足を運び、聞かせていただきましょう!

今日のお仏花

この日も綺麗にお仏花が整えられていました。いつもありがとうございます!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次