真言密教から親鸞聖人の教えへ―如道の生涯と覚如上人との出会い

今回は、浄土真宗の三門徒派、誠照寺派、山元派の元祖といわれる如道について紹介します。

如道は、親鸞聖人の教えに出会い、阿弥陀仏の本願を伝えることに生涯を捧げました。そして覚如上人との深いご縁によって、北陸に浄土真宗の教えを広めたのです。

目次

如道の出生と家系

中野専照寺の系譜を中心に叙述された資料『中野物語』によると如道は、平家物語にも登場する平康頼の子孫として生まれました。

治承元年(1177年)、平康頼が流罪となりその妻子は京都の一条紫野付近に一時居住することになりました。

その子が越前に移住し、大町太郎衛門と名乗りました。太郎衛門の代まで対馬頭という地位を継承し、良い暮らしをしていたといいます。太郎衛門は越前「玉世ノ橋」の橋守を務め、政治的・経済的にも重要な職種を担いました。

如道は、その太郎衛門の子として生まれたのです。

名門の血筋に生まれ、恵まれた環境で育った如道でしたが、そんな彼の人生に大きな転機が訪れます。

真言密教での修行

如道は、恵まれた地位にありながらも、世の無常を深く感じ、出家を決意します。

もしかしたら祖先の平康頼が詠んだ和歌を思い出したのかも知れません。

つひにかく背きはてける世の中をとく捨てざりしことぞくやしき

出典:『平家物語』

意訳:自分が執着していた都(政治の世界)は、結局私を見捨てた。やっと出家できたが、もっとはやく自分から見限り出家しなかったことが悔やまれる

当時、北陸にも多かった真言宗の寺院で出家した如道は、真言密教の道を真剣に歩みました。

彼は真言宗の「四度加行」という厳しい修行をおえた人が受けられる、伝法灌頂を受けたとされます。

伝法灌頂とは、阿闍梨という指導者の位を与えられる儀式です。如道に並外れた教養と胆力があることがわかります。

如道は、密教の加持祈祷で周囲から大変慕われていました。真言密教の僧侶として、多くの人々から尊敬を集めていたのです。

しかしそれでも如道の心は満たされることはありませんでした。

「死んだら一体、どうなるのだろう」

そんなある日、如道の人生を大きく変える出会いが訪れます。

他力仏教への帰依

契機は三河国(愛知県東部)を拠点とする和田門徒の指導者、円善との出会いでした。

円善は親鸞聖人の直弟子である、高田派の真仏房と専信房の弟子にあたります。

北陸の交通の要衝にいた如道は、円善の弟子を通じて親鸞聖人の教えに接したようです。

それは如道にとって、大変な驚きでした。

加持祈祷や自力修行とは全く異なる、阿弥陀仏の本願による救い。如道は、すべての人が救われるという教えの深さに衝撃を受けたのです。

専修寺の創建と大町門徒の形成

如道はすぐに浄土真宗に改宗し、親鸞聖人の教えを伝えることに生涯を費やす決意をしました。

正応3年(1290年)、如道は越前大町に専修寺を創建し、ここを拠点に布教を開始します。

如道の影響は大きく、やがて越前一円にわたる大教団が形成されました。この地域の親鸞学徒は「大町門徒」と呼ばれるようになります。

しかし如道は、大町門徒を導くために、さらに教えを深く学ばなければならないと考えていました。

そのようなとき、思いも寄らない機会が訪れます。

覚如上人の北陸来訪

覚如上人は当時、親鸞聖人の教えを伝えるために、あらたに北陸の地を目指されました。

その時ご縁があったのが、如道でした。

当時、高田派の浄土真宗が多くいた北陸の地で、如道は本願寺の覚如上人に親鸞聖人の正確な教えを求めたのです。

覚如上人は親鸞聖人の姿を写したとされる「鏡の御影」をお持ちになり、それを専修寺に掲げ、本願寺派の正式な講義として、厳粛に務められたといいます。

『教行信証』の講義

その時、実際に『教行信証』の講義をされたのは、当時22歳だった存覚上人でした。

なお、存覚上人については別の記事で詳しく紹介していますので、こちらもご覧ください。

覚如上人と存覚上人のお二人は、20日以上も専修寺に滞在され、阿弥陀仏の本願の真髄を如道に伝えられました。

如道にとって、それはかけがえのない時間でした。

親鸞聖人の血縁関係にある覚如上人から直接教えを聞かせていただけることは、この上ない喜びだったに違いありません。

如道はこのご講義のあとも京都に訪れて、ご教導をたまわっています。

親鸞聖人の御和讃を勧める

今日の三門徒派というのは、その源流が如道につながります。

如道は、親鸞聖人の御和讃を大切にし、弟子や門徒に拝読するよう勧めました。

和讃とは「和語讃嘆」の略。平仮名まじり(和語)の詩で、弥陀の本願とその教えを褒め讃えられたものです。

親鸞聖人は、庶民が経典やお聖教の深い内容に親しむことができるように、やさしい平仮名で詠まれたのです。

如道の周辺の親鸞学徒があまりにも和讃を拝読するので、まわりからは「和讃門徒」を意味する「讃門徒」と呼ばれ、これが今日では三門徒と呼ばれるようになりました。

『愚闇記返礼』の執筆

声に出しながら和讃を拝読し、親鸞聖人の教えを聞き求める親鸞学徒が多く現れたので、鯖江の天台宗寺院、長泉寺の孤山隠士が『愚闇記』を書き、主に如道を批判しました。

これに対し如道は『愚闇記返礼』を書き表し、聖道仏教へ反論しています。(今日では上巻のみ残っています。)

そして庶民にどうしたら親鸞聖人の教えを伝えられるか、心を砕きます。如道の願いは、ただ一つ。一人でも多くの人に、親鸞聖人の教えである阿弥陀仏の本願を聞いてもらいたいという思いでした。

覚如上人の葬儀への参列

如道の晩年について、次のような記録が残っています。

老上人御終焉、観応二年正月十九日酉之中刻也。 一、□廿一日葬送ノ事、河島ハ程遠ク、所務ノ障リアレバ、大祖ノ舊例ニマカセ延仁寺可然問答當住誓阿懇義ニ取持廿三日朝出棺。…(中略)

又上洛ハ所謂、(専修寺)如導、助信…(下略)…

意訳:老上人(覚如上人)は、観応二年(1351年)正月十九日の酉の中刻(午後六時ごろ)にご往生されました。

二十一日に葬送のことについて協議が行われましたが、河島は都から遠く、本山の諸用務に支障があるため、葬儀は親鸞聖人の旧例に倣い、延仁寺で行うのがよいだろうという相談のうえ、当寺の住職・誓阿(せいあ)上人が懇ろに取り仕切ることとなりました。

そして、二十三日の朝に棺を出し、葬送が営まれました。

(中略)

また、都へ上洛して参列したのは、いわゆる専修寺の如導をはじめ、助信などの弟子たちでありました。

この記録からわかるように、如道は80歳過ぎの高齢であったにも関わらず、覚如上人の葬儀に上洛し、覚如上人から教えを受けた者として記載されています。

『慕帰絵詞』における記述

また、覚如上人の生涯を描いた『慕帰絵詞』第十一巻には、次のようにあります。

聞法血脈の名字を釣輩は、有昭・善教・覚浄・教円・乗智・成信・行如(興宗寺)・承人・唯縁・道慶・寂定等なり。斯外自余修学の門徒たりといへとも、其志ありて遠国よりも上洛随逐して、所化と成て稽古を致し、提撕に堪たるもあり。所謂、如導・助信・善範・想賢・順教・順乗・空性・宗元・智専ごときの類をや。猶これあれとも委するにあたはず。

意訳:聞法の血脈を継いだ者として名を連ねる弟子たちは、有昭・善教・覚浄・教円・乗智・成信・行如(興宗寺)・承人・唯縁・道慶・寂定などであります。

このほかにも、修学を志す門徒は多くいましたが、その中には志篤く、遠くの国々から京都へ上って覚如上人に随い、弟子として仕え、学問に励み、導きや教えを受けるにふさわしい者もありました。

すなわち、如導・助信・善範・想賢・順教・順乗・空性・宗元・智専といった人々がそれであります。

しかしなお、これらのほかにも関係する人々は多く、ここにすべてを詳しく述べることはできません。

如道は、覚如上人から直接教えを受けた門徒として、『慕帰絵詞』にも明確に記載されているのです。

そして覚如上人がお亡くなりになった後、数年して、如道は80歳過ぎに亡くなりました。

如道が創建した大町専修寺は、現在は廃絶していますが、その跡地には専照寺によって管理される如道の墓所がひっそりと残されています。

如道は晩年まで覚如上人から教えを受けていたようですが、最近まで誤解があったようです。

如道への誤解について

蓮如上人の孫にあたる顕誓が書いた『反故裏書』には、如道は秘事法門の輩として登場しています。

しかし『反故裏書』は、如道の時代から二百五十年ほどたってから編集された本であり、他の資料研究と照らし合わせれば、この信憑性は低いと考えられています。

なぜこのような説が出たかといえば、如道から百年ほど経って、北陸の讃門徒の中から秘事法門的な傾向が出てくるようになったからです。

それをさかのぼって、如道にその秘事法門が結びつけられたようです。

如道の弟子たちには、後に三門徒派、誠照寺派、山元派を開いていくほどの力のある者がたくさんいました。しかし北陸の浄土真宗の教えは如道の亡き後、乱れに乱れてしまいます。

ですが如道が蒔いた種は、しばらくして蓮如上人の時代に花開くこととなるのです。

編集後記

如道はどのようなことを話していたのか、ほとんど資料が残っていませんが、親鸞聖人の御和讃を徹底して教えていたということだけみても、庶民にどうしたら親鸞聖人の教えを伝えられるか、研鑽・工夫していたことが知らされます。

覚如上人・存覚上人から直接教えを受け、親鸞聖人の正しい教えを学んだ如道は、北陸の地で多くの人々に阿弥陀仏の本願を伝えました。

かつて如道をはじめとする北陸の親鸞学徒は、親鸞聖人の教えとの出会いに喜び、親鸞聖人の御和讃に親しみながら阿弥陀仏の本願を聞法していました。

私たちも浄土真宗親鸞会金沢会館で、阿弥陀仏の本願を真剣に聞かせていただきましょう。

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